今、あえて「黙食」をする。
12月21日(土)の午前9時から、あがほ考琲さんで「黙食Cafe」が開催されました。
「カンセンタイサク」の象徴だった「黙食」は、周りへの影響を考えてのものでした。
良いか悪いかはさておき、今では食事をするときにもスマホを手放さない人たちが大半です。
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- youtubeの動画を見る
- Xやインスタを見る
- ゲームをする
目の前にある食事のことはほったらかしで、「ながら」で食事をしています。
スマホを持たないことで精神的に不安定になる人たちもいます。
だからこそ、「黙食」をする意味があるのです。
私たちが、日常でどれだけ「感覚を失った」状態にさせられているか、気づくきっかけになりました。
直球の和定食に感動
朝食を食べる前に、味比べ用の考琲が出されます。

世界で初めてのブレンドコーヒーを再現してみました
当時と全く同じではありませんが、産地などは同じ地域の豆でブレンドしたとのこと。
アイスコーヒーで出てきますが、いつも通りの美味しさでホッとします。
考琲を味わったところで、今回の朝食が登場。


今回の朝食は、銀だらをメインにした和定食です。
玉子焼きをはじめとした副菜も味わい深くて、少しずつ噛み締めながら食べ進めていきます。



じゃあ、始めましょう。
食べ始めてからマスターが合図するまでは、一切話さない。
スマホも禁止。
目の前の食事と流れる音楽。
お店の外を行き交う自動車のエンジン音や人々の話し声が聞こえてきます。
普段の生活で、一口一口を、ここまで大切にして味わうことはなかなかできません。
銀だらは脂がのっていて、ご飯との相性はバツグンです。
玉子焼きやイカの煮つけなど、副菜の1つ1つが美味しくて、ご飯がすぐになくなりそうでした。



大切に食べよう
ご飯は多めに盛っていただいたのですが、いつもより味わうことを意識していました。
何気なく済ませてしまう食事も、周りにある余計なことを除いていくと、全く違う感覚になります。
食事が終わると、自分だけの時間が流れ始めます。
座禅や瞑想とも違う時間
普段より時間をかけているとはいえ、15分もすれば食べ終わります。



1つ1つ味わって食べると違うな~
食べたものを1つずつ回想し終わると、普段考えていることが頭をもたげてきます。
- 仕事のこと
- 年末年始の過ごしかた
- 今後の自分
頭をよぎっては消えます。
ただ、前回と比べてそれも短い時間で終わり、流れている音楽に身をゆだねます。
時折聞こえてくる店の外の音も、普段より鮮明にはっきりと聞こえてきました。
目を閉じていますが、寝ているわけではありません。
意識はあるけれど、どこか違うところにある感覚。
一度、水を飲むために目を開けて、ふと柱時計を見ると、思っていたよりも結構時間が経っていました。



もう、こんなに時間が経ってたのか
再び目を閉じて、まだそれほど時間が経たないところで



終わりで~す。お疲れ様でした。
マスターの声が聞こえてきました。
「黙食」を終えて、改めて味比べ用の考琲を飲みます。
参加していた常連のIさんは
味がよりストレートにぶつかってくる感じ
と表して、その違いに驚き納得していました。
まさにIさんの言うとおり、味の輪郭がクリアになって、深みや苦みも良い意味で強く感じられます。
常連のTさんは、座禅やワークショップに参加した経験を話してくれました。
Tさんが参加したお寺での座禅は、時間ややってはいけないこともキッチリと決められていたそうです。
別のワークショップでは、泣き叫んでも何をしても自由で、逆に驚いてしまったと。



ワークショップって色々あるよな~
管理人も騒動になる前、いろんなワークショップに参加していたので、その時の様子を思い出していました。
気づいているといっても、程度の違いは一言では言い表せないくらいあります。
気づいたという前に、自分のことをどれだけ冷静に見つめられるのか、俯瞰する目が大切です。
静けさの中に身を置こう
黙食Cafeは、みんなで集まってワイワイしようというものとは一線を画します。
終われば普段通り色々話しますが、その前に静けさの中に身を置くことが重要です。
浮かんでくるイメージ。
心の中でつぶやく言葉。
1つ1つ感じて、感じることに集中しているからこそ気づくことがあります。



やっぱり、研ぎ澄まされるんだよな。
考琲の味が変わったというよりも、自分の感じ方が変わったというほうが正確だと、管理人は思います。
ただ、「感じ方が変わる」ということを、あまりにも大きく捉えすぎているような気がします。
些細なことを感じられてはじめて、大きな変化に気づけるのではないか
管理人はそう思うのです。
次回の黙食Cafeも楽しみです。